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伊勢神宮教本院・神宮奉斎会

 明治政府は明治5年(1872)年3月14日に教部省を設置し、教化活動を行う教導職制度を設け神官や仏教僧侶を任命しました。この動きに対応して、度会県倭町(伊勢市倭町)の事比羅神社に開設された神宮教会では8月から説教を始めました。そして10月に神宮から神宮教院開設の届け出が出されました。そして宇治浦田町の旧慶光院の裏手にある藤波氏朝邸を購入し、明治6年(1983)1月10日に神宮教院の開院式が行われました。明治8(1985)年3月には宇治中之切町の柳家所有地に移転しました。
 この頃、時代の流れは政教分離に移推しており、神宮教院では明治9(1876)年2月に規則を改めるとともに10月には教育機関を「本教館」と称することになりました。明治14(1881)年12月本教館の学生の横暴な生活態度のために乱れていた秩序を立て直し、教育を正常化するために一時閉鎖されることになりました。明治15(1882)年1月、内務省通達により神官の教導職兼務が廃止されました。神宮教院は神道事務所と分かれ神宮との関係を絶ち、「神宮教」として独立しました。岡本町の祖霊社を附属施設として「大神宮祠」と称しました。なお、明治15年当時の神宮祭主久邇宮朝彦親王より林崎文庫に「皇學館」を設置する令旨が発せられました。これが現在の皇學館大学の創立とされています。
 明治31(1898)年に民法が公布されたのを機に、宗教以外の立場から神宮崇敬の団体を作る意図で明治32(1899)年神宮教を解散し、「神宮奉斎会」が設立されました。これは、神宮大麻の頒布が神宮教院に委託されていましたが、神道の一派となった神宮教に国家事業としての神宮大麻頒布を委託することについて疑問の声が生じ、内務省からの訓令が出されたことによります。


伊勢神宮教本院
左:伊勢神宮教本院真図 原寸:長辺40.6㎝×短辺27.3㎝
  明治30年出版発行 
  著作権発行者:伊勢国度会郡宇治山田町大字浦田町百一番屋敷 神宮教中教正 吉村春樹
  印刷者   :同 国同 郡同   町大字下之郷二十番屋敷        向井源吉
右:神宮教本院 原寸:長辺6.7㎝×短辺4.3㎝
  (小川稠吉『伊勢たより 参宮案内 全』明治30年2月所収


神宮奉斎会
左:裏面 右:表面  長辺14.2㎝×短辺8.8㎝

 絵葉書表面の罫線が1/3の所にありますので、大正7年以前の撮影と考えられます。なお、この建物は宇治山田駅前の神都公会堂として移築され昭和3(1928)年4月に竣工しました。また、昭和5(1930)年3月から5月に開催された神都博覧会では迎賓館として使用されました。その後、昭和30年頃南伊勢町神前浦にある金剛山地蔵院本堂として移築されました。伊勢の郷土史研究家の秋田さんが現地を確認なさったところ、火災で焼失し、昭和37年に再建されたとのことで神都公会堂の遺構がどの程度残っているかは不明だそうです。


〔参考文献〕
宇治山田市役所 『宇治山田市史』 昭和4年 宇治山田市役所 p.467~469
伊勢市『伊勢市史』 昭和43年3月 伊勢市役所 p.862~863
伊勢市『伊勢市史 第4巻 近代編』 平成24年6月 伊勢市 p.503
学校法人皇學館 館史編纂室 『皇學館大學の百二十七年』 平成21年12月
                              p.7~16
岡田登監修・執筆 『写真アルバム伊勢・志摩の昭和』平成25年9月 樹林舎
                              p.115
秋田耕司
『御師橋村大夫邸の流転』 令和3年1月 NFC技研  p.36


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