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皇學館大學

 倉田山に「皇學館大學」があります。現在の大学名は平成13年に「皇學館大学」と改称されていますが、本ページでは「皇學館大學」と表記をします。

皇學館絵葉書
左:たとう     原寸:縦14.8㎝×横10㎝
右:絵葉書表面   絵葉書原寸:長辺13.8㎝×短辺8.8㎝
発行:皇學館共済部  印刷者:絵画研究会


左:全景
 中:玄関  右:大講堂 
 

 航空写真左端が清明寮、グランドの右が武道場、その右上(現皇學館高校敷地)が精華寮です。

左:正門  中:精華寮正門  右:精華寮食堂


左:清明寮  右:神宮文庫


 清明寮の新築竣工が昭和4年2月です。また、入手することができませんでしたが、これと同じ絵葉書集で「館歌・精華寮寮歌」の書かれた紙片が入っているものがオークションで出品されていました。(最終価格は1万3千円でした。)館歌は昭和7年に制定されましたので、その頃以降に発行されたと考えられます。

平成21年6月23日撮影
左:2号館前(神宮皇學館本館跡地) 
中:皇學館大学記念館 平成16年までは祭式教室として使用されていました。
右:講堂跡地(この写真のみ平成19年8月21日撮影)


 講堂は現百年記念講堂の所にありました。現在は講堂に上る階段が残っています。階段前に設置された看板によると、この講堂は昭和3年3月の竣工で、夢殿をもした外観から「八角講堂」、また六角形に見えたことから「六角講堂」と呼ばれていたそうです。ここでは、様々な式典・講義の他、前庭では観月会も催されていたそうです。しかし、昭和41年5月に失火によって烏有に帰したそうです。

左:皇學館高校正門付近(神宮皇學館精華寮正門付近)
右:現在の皇學館大学精華寮(奥)・貞明寮(手前右端)


左:旧1号館(清明寮跡地)
中:清明寮碑
右:神宮文庫

 次にたとうがない絵はがきを紹介します。

(その1)
左:神宮皇學館 右:神宮皇學館より朝熊山遠望

原寸:縦9㎝×横14㎝
発行者・印刷所不明


 これらの絵葉書は、「徴古館」「農業館」「倭姫宮」の絵葉書とともに一括で入手をしました。表面は全て同じですので、「倉田山」の絵葉書集の一部だと考えられます。
 絵葉書左の右側門柱には「神宮皇學館」と書いてあります。皇學館が倉田山に移転したのが大正7(1918)年です。また、昭和15(1940)年には「神宮皇學館大學」として官立大学になりましたので、その間に撮影ものです。
 絵葉書左の手前の山が貝吹山、後方が朝熊山です。右側に写っているのが武道場、その奥(現在の皇學館高校の敷地)に写っているのが精華寮です。

平成20年8月24日撮影
左:グランドから朝熊山方面
中:皇學館大學正門
右:正門全景

 現在は、木が生い茂って、同じアングルでは貝吹山・朝熊山を見ることができません。

(その2)
左:飛行機より見たる神宮皇學館 中:神宮皇學館講堂  右:神宮文庫
絵葉書原寸:縦9.1㎝×横14.1㎝
発行者:不明  印刷者:絵画研究会


 航空写真左端の清明寮の右上は林になっています。「皇學館絵葉書」では空き地(グランド?)になっていますので、こちらの方が古い写真であると考えられます。この三枚の絵はがきの他に、外宮火除橋・内宮宇治橋の絵葉書も付いていました。

平成20年8月24日撮影

〔参考文献〕
『皇學館大學百三十年史 年表篇 写真篇』

〔参考HP〕
皇學館大学HP 学生寮  令和2年9月6日閲覧


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