宇治山田駅・古市・倉田山界隈 旅館
五二会ホテル
〔関連ページ:市内眺望〕
尾上町にある「虎尾山」の青葉台周辺に「五二会ホテル」がありました。
五二会は前田正名と京都の内貴甚三郎・中村栄助・能川登らを中心に、明治27(1894)年4月に結成されました。「五二」の「五」は織物・陶磁器・漆器・銅器・製紙を、「二」は彫刻・敷物を指します。「五二会」とは、これらの伝統的な輸出工芸品七業者の団体です。五二会は全国各地の産物を一堂に会し、それらの高品質化・生産強化を図るための大規模な品評会でした。
五二会ホテルは、明治32(1899)年8月外国人や貴賓の旅館として営業を開始しました。大正4(1915)年に京都ホテル山田市支店なり、同年5月10には宇治山田市がこれを買収して都ホテルに貸し付け営業を続けました。そして、大正8(1919)年5月に宇治山田市は日清・日露戦役記念碑建設会に譲渡しました。
建物は昭和35(1960)年に解体され、昭和37(1962)年川端町にある地蔵院の本堂の一部と玄関として移築されました。
五二会ホテル御絵葉書
発行:五二会ホテル 印刷:絵画研究会
左:たとう(二ツ折りを広げたもの)
原寸:縦17.9㎝×横19.7㎝
右:伊勢山田五二会ホテルより市街を望む
原寸:縦9.1㎝×横14㎝
右絵葉書には、百五銀行が写っていますが、商品陳列所がありませんので大正8年から15年の間に発行された絵葉書集だと考えられます。
左:伊勢山田五二会ホテル 電長二五番
中:伊勢山田五二会ホテル庭園
右:伊勢山田五二会ホテル御座所
尾上町の歴史研究家MISUZU様から、この建物の設計者は帝室技芸員であった、第9代伊藤平左衛門(参考文献『宇治山田市史 資料編』・名古屋市役所『名古屋市史 学芸編』大正4年)であると教示を下さいました。また、右の「御座所」はその名称から貴賓客に関する部屋だったと考えられます。MISUZU様から、「戦後、戦災に遭った人々のための施設として使われていましたが、この部屋には入ることができなかった」とのお話を伺いました。
以下、単品で入手した絵葉書を紹介します。
最初の5枚の絵葉書は発行者・印刷社が不明ですが、表面が全て同じで、裏面のキャプションの活字も全て似通っていますので、もしかすると同じ絵葉書集であったと考えられます。
原寸:縦9㎝×横14㎝
左:伊勢五二会ホテル
右:伊勢五二会ホテルの桜
左:伊勢山田五二会ホテル
中:伊勢山田五二会ホテルの一部
右:伊勢山田五二会ホテル庭園の一部