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倉田山徴古館前

 徴古館は、神宮を始め日本の歴史と文化に関する資料を収集・展示する博物館です。神苑会によって建築事業が進められ、宮内庁技師のである片山東熊の設計により、明治42(1886)年に竣工し9月29日開館しました。
 
神都倉田山新開御成道及徴古館之大工事
左:裏面 原寸:長辺14㎝×短辺9㎝  右:表面

 倉田山を開削し、御幸道路を建設した様子がわかります。なお徴古館右下に煙突が見られますが、これは、神久五丁目にあった三重セメントの煙突のようです。(辻村修一氏のご教示による)なお、この画像は『史料 皇學館大学史料編纂所報』第220号に掲載しました。


伊勢御成街御物陳列所及徴古館
左:裏面 原寸:長辺14㎝×短辺8.9㎝  右:表面


 御幸道路や徴古館が完成した直後の様子です。画面右上端の建物は、御物陳列所(神宮撤下御物陳列所)で、神宮の御神宝を公開した施設です。徴古館建設後に閉鎖・移築され、後に神宮文庫が建設されました。
 御幸通から御物陳列所に登る道の左側にある石碑は明治42年9月に建てられたもので、表面に「国道樹木 寄贈者御木本幸吉」裏面に「明治42年9月建之」とあります。



伊勢倉田山徴古館
左:裏面 原寸:長辺14.3㎝×短辺9.1㎝  右:表面


 御物陳列所が移築されており、小さな建物が見られます。表面には「徴古館農業館観覧記念」のスタンプが捺されています。徴古館の麓の石碑は、明治44年3月に建てられたもので、徴古館が神宮に奉納される経緯が漢文で記されています。御物陳列所は、明治45(1912)年に閉鎖され、神宮文庫は大正15(1926)年1月開館しましたので、その間に撮影されたものです。


伊勢徴古館
左:裏面 原寸:長辺14.2㎝×短辺9.1㎝  右:表面

 
 これは、発行所等は不明ですが『伊勢名所』と題する絵葉書集のうちの1枚です。降雪後に撮影されたものです。表面の罫線が中央に引かれているので大正7(1918)年以降に発行されたものだと考えられます。


伊勢山田御成街道徴古館及御物陳列所

左:裏面 原寸:長辺14㎝×短辺9㎝  右:表面

 
 キャプションには「伊勢山田御成街道徴古館及御物陳列所」とありますが、この時代に御物陳列所はありません。


伊勢山田御成道徴古館
左:裏面 原寸:長辺13.8㎝×短辺8.8㎝  右:表面


 画面右端の御幸通から神宮文庫方面に上る道が湾曲があるように変化しています。御物陳列所が閉鎖されて以降、大正7年までの間に神宮文庫に上る道が現在のように改築されたと考えられます。
 「伊勢山田徴古館及御成街御物陳列所」および「伊勢山田御成道徴古館」は、中央の足跡の様子などから「伊勢徴古館」の画像を元にカラー化された物だと考えられます。表面の様子も異なりますので、違う印刷所で発行されたものと考えられます。よって、撮影された写真は多数の印刷所に渡ったと考えられます。さらに、「伊勢山田御成道徴古館」には外套をつけた人物が二人描かれていますが、これはカラー原版を作成する際に修正されたと考えられます。写真絵葉書でも修正されたものはたまに見かけることがありますので、注意が必要です。


伊勢 倉田山公園 徴古館
左:裏面 原寸:長辺14㎝×短辺9.1㎝  右:表面


 表面の罫線が中央に引かれているので大正7年以降スタンプにある大正9(1920)年の間に撮影されたものです。現神宮文庫へ上る道が良く写っています。


伊勢御幸通り
左:裏面 原寸:長辺14㎝×短辺8.9㎝  右:表面



 周囲の木々の様子から「伊勢山田御成道徴古館」よりは新しいものだと考えられます。


(伊勢名所) 御幸通徴古館
左:裏面 原寸:長辺14.3㎝×短辺9.1㎝  右:表面



 この辺りは神宮皇學館(現皇學館大学の前身)の学生に「六道が辻」といわれたとそうです。古市へ向かえば色道、神宮文庫の黒門は大学の敷地もつながりますので学道、授業をサボって松尾観音へブラブラしに行けば、単位を落としてしまうので地獄道と言われたそうです。
 画面中央左端古市に続く道の端には、昭和2(1927)年に建てられた「古市へ二丁」の石碑が見られません。



神宮文庫入口
左:裏面 原寸:長辺13.8㎝×短辺8.8㎝  右:表面



 倉田山の神宮文庫は大正14(1925)年に完成し、翌15年1月に開館しました。画面左端古市に「古市へ二丁」の石碑が見られます。また、「画像中央に写っている黒門は、八日市場町に屋敷があった、福島御塩焼(みさき)大の表門を昭和10(1935)年に移築したものです。昭和2年に建てられた「古市へ二丁」の碑の右には「倉田山風致地区」の碑もみられます。宇治山田市周辺が風致地区に指定されたのは昭和11(1936)年2月15日ですので、それ以降に撮影されたものです。


聖地・伊勢
左:裏面 原寸:長辺13.6㎝×短辺8.9㎝  右:表面



 キャプションに「桜樹楓樹の交々連なりて四季の風情また佳.近代的舗装道路御幸通り。」とあります。終戦に近い戦前の撮影だと考えられます。


(伊勢志摩国立公園)宇治山田市 御幸通


 伊勢志摩国立公園の指定は昭和21(1946)年11月20日です。また、宇治山田市が伊勢市になったのが昭和30(1955)年ですので、その間に撮影されたものです。木々の様子が「聖地・伊勢」とよく似ていますので、終戦直後ではかいかと思われます。


平成17年12月31日撮影 左:徴古館方面  中:大鳥居
平成20年 2月10日撮影 右:徴古館方面


 現在は木々が完全に繁り、徴古館の建物を見ることができません。右は積雪の情報をいただきましたので、急遽伊勢に行ってきました。御幸道路には撤去された石灯籠が写っています。


令和元年12月29日撮影
左:黒門
  中:国道樹木碑表面   右:国道樹木碑裏面




〔参考文献〕
伊勢市   『伊勢市史 文化財編』 平成19年3月 伊勢市
       徴古館:p.480
  神宮文庫黒門
拙著    「いにしえの伊勢①~絵葉書古写真に見る戦前の宇治山田~」
         『史料 皇學館大学史料編纂所報』第220号 
          平成21年4月 皇學館大学史料編纂所
『官報 第2734号』 昭和11年2月15日

〔参考HP〕
『神宮の博物館』「神宮徴古館・農業館 歴史詳細」
             令和3年9月23日 最終閲覧
『伊勢志摩きらり千選』「伊勢市倉田山『神宮文庫黒門』」
             令和3年9月23日 最終閲覧
『環境省』「日本の国立公園 伊勢志摩国立公園 公園の特長」
             令和3年9月23日 最終閲覧


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