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交通機関

神都線・朝熊登山鉄道線 楠部駅

 神都線・朝熊登山鉄道の楠部駅は現在の楠部町山崎内科外科医院の東側にありました。

朝熊登山鉄道開業当初の楠部駅
楠部駅01  原寸:長辺14㎝×短辺9㎝  印刷:絵画研究会

 画面中央にある星目薬看板後方の電車は、窓の枚数から27型ボギー車で型式番号が27・28のいずれかではないかと考えられます。明治39(1996)年に日本車輌で製造されました。昭和19年に型式番号がモ531・532に変更されました。
 画面右端の車両は朝熊登山鉄道平坦線の車両だと考えられます。

楠部駅02 原寸:長辺13.8×短辺8.8㎝ 印刷:絵画研究会

 駅に停車している車両は朝熊登山鉄道平坦線の車両です。昭和3(1928)年1月2日のスタンプが捺されています。


楠部駅03 原寸:長辺13.8×短辺8㎝ 印刷:不明

 ホームの屋根が画像右側方向に増設されています。屋根の右端側の建物はトイレではないかと考えられます。

楠部駅04 原寸:長辺×短辺㎝ 印刷:不明

 画像左端の車両は中央に出入口があります。よって32号型で型式番号が32~35のいずれかの車両だと考えられます。昭和19(1944)年に型式番号がモ501~504に変更されました。会社の記録では昭和元(1926)年から2年に製造されたとありますが、他の記録によると503・504は大正12(1923)年のプレートをつけていたとのことです。また、車内には鏡が取り付けてありました。ビューゲル(集電装置)の様子から内宮方面に進む電車だと考えられます。

楠部駅05 原寸:長辺14.1×短辺9.1㎝ 印刷:不明

 楠部駅03をカラーにしたものです。


伊勢自動車楠部出張所設置後の楠部駅
楠部駅06 原寸:長辺13.9×短辺9㎝ 印刷:絵画研究会


 駅舎左側にはホームと屋根が新たに設置されています。駅舎前の電車の車両番号は21ではないかと思われます。これは9号型低床単で昭和15(1935)年11月4日に廃車されました。
 画面右端には伊勢自動車楠部出張所の建物が見られます。伊勢自動車は大正11(1922)年12月神都自動車商会が中心となり、当時の乗合自動車会社が団結して設立されました。そして、昭和7(1932)年3月伊勢自動車会社を母体に神都乗合自動車が設立されました。
 また、楠部駅舎左前の看板には「天幕村開設」と書いてあります。これは朝熊山の天幕(テント)村を指すと考えられます。天幕村は朝熊登山鉄道によって大正15(1926)年7月24日に開設されました。よって、この写真は大正15年から昭和6年までに撮影された写真だと考えられます。
 以上のことから、朝熊登山鉄道が開業した大正14(1925)年8月当初は、楠部駅前の田んぼの中に「あさま山ゆき電車乗場」の看板がありましたが、大正15年7月より前に伊勢自動車の楠部営業所が建てられたと考えられます。

楠部駅06 原寸:長辺14.1×短辺9.1㎝ 印刷:不明

 楠部駅舎右側に伊勢自動車楠部出張所が写っています。
 駅舎左側に写っている電車の車両番号は36または38のようです。これは昭和2(1927)年から昭和8年にかけて汽車製造・日本車輌・田中車輌工場の3社で作成された半鋼製ボギー車の36号形です。車両番号は36~41と43~54で全18両に及び、神都線の主力車両でした。後にモ511型に形式変更されました。
 よって、この写真は昭和2年以降に昭和6(1931)年以前に撮影されたものと考えられます。

楠部駅07 原寸:長辺14.1×短辺9.1㎝ 印刷:不明


 楠部駅の南西から貝吹山方面を写したものです。画面左側には伊勢自動車の建物が写っていますので、大正15年7月以降に撮影されたものだと考えられます。


楠部駅08 絵葉書集「朝熊名勝ケーブルカー」でも紹介しています。
原寸:長辺14㎝×短辺9㎝



 昭和5(1930)年6月のスタンプが捺されていますので、それ以前に撮影されたものです。楠部駅01に写っている伊勢自動車楠部出張所の建物はありますが、駅舎右(南)側の「朝熊登山鉄道」の名称の入った倉庫はありません。


〔参考文献〕

和久田康夫・宮松金四郎 『三重交通神都線の電車1」『鉄道ファン第2号』
                       昭和36年8月 交友社

和久田康夫・中野本一  『三重交通神都線の電車2」『鉄道ファン第3号』
                       昭和36年9月 交友社

山崎寛         「失われた鉄道・軌道を訪ねて51~朝熊登山鉄道」
                 昭和58年8月 株式会社電気車研究会



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