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交通機関

神都線 社名の変遷2  三重合同電気

 伊勢を走っていた市電は、明治36(1903)年の開通から昭和36(1961)年の廃止時までに、「宮川電気」「伊勢電気鉄道」(近鉄の前身の「伊勢電気鉄道」とは別会社)「三重合同電気」「合同電気」「東邦電力」「神都交通」「三重交通」と会社名が変わっています。


三重合同電気
 大正11(1922)年に伊勢電気鉄道株式会社は津電灯・松阪電気と合併し、三重合同電気株式会社が設立されました。そして、昭和5(1930)年2月に合同電気株式会社に名称が変更されました。

三重合同電気株式会社 乗車案内

原寸:長辺39.1㎝×短辺18㎝

 表面料金表に「通行税」とあります。これは、汽車、電車又は汽船による国内での移動にかかる税です。日露戦争の戦費を賄うため、明治38(1905)年に制定された非常特別税法の中の税目の一つとして通行税が創設されました。明治43(1910)年には通行税法の制定により恒久税化されましたが、交通を阻害するとの理由から大正15(1926)年の税制改正で廃止されました。よってこのパンフレットは、大正11年から15年の間に発行されたものだと考えられます。



三重合同電気株式会社 参宮電車御案内 名所案内
原寸:長辺37.7㎝×短辺17.1㎝

 岩戸屋が発行したパンフレットです。こちらは通行税が課されていませんので、大正15年以降に発行されたものです。
           
鉄道線月別団体乗車割引運賃表
原寸:長辺26.6㎝×短辺18.5㎝

 これは、朝熊登山線の楠部から朝熊岳往復(通常料金64銭)の割引運賃表です。従って昭和3(1928)年朝熊登山鉄道合併後の運賃表です。

日本車輌株式会社 車両カタログ
原寸:B5版 裏面には日本車輌の社章が印刷されています。

 『鉄道ファン』第4号に掲載されている「三重交通 神都線の電車」によると、この形式の車両は日本車輌の他、汽車製造、田中車輌(現在の近畿車輛)で昭和2(1927)年から昭和8(1933)年にかけて製作された。同形式の車両が18両あり、神都線では主力の車両であった。形式番号は、当初36号型(車両番号は36~41・43~54)であったが、のちにモ511型(車両番号は511~528)と改称された。この形式の車両は連結運転が出来るように改造されたものもある(旧番号で43・44、45~54)とあります。
 また、『レイル』53号に掲載されている「三重交通神都線電車の台車のことなど」によれば、日本車輌では昭和2年に38・39号、(のちモ513・514)昭和3年に40~44号(のちモ515~モ518)を製造したとあります。
 さらに、神都線の運転手をなさっていた中野本一さんから、昭和2年のものであるとの御教示を頂きました。どうも有り難うございました。


東洋一朝熊ケーブルカー
原寸:長辺19㎝×短辺13㎝



〔参考文献〕
久田康夫・中野本一「三重交通 神都線の電車3」
           『鉄道ファン』第4号 昭和36年10月 交友社 p.51
中野本一 「三重交通神都線電車の台車のことなど」 
           『レイル』53号   平成17年7月 エリエイ p.90

〔参考HP〕
国税庁 「税の歴史クイズ 鉄道と交通税(答え)」 令和4年2月13日最終閲覧


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