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交通機関

神都線 社名の変遷1 宮川電気株式会社・伊勢電気鉄道

 伊勢を走っていた市電は、明治36(1903)年の開通から昭和36(1961)年の廃止時までに、「宮川電気」「伊勢電気鉄道」(近鉄の前身の「伊勢電気鉄道」とは別会社)「三重合同電気」「合同電気」「東邦電力」「神都交通」「三重交通」と会社名が変わっています。


宮川電気株式会社
 宮川電気株式会社は、明治36(1903)年8月5日に市電を開業しました。これは、全国7番目の開業でした。この時期のパンフレット等は今のところ見たことがありません。


伊勢電気鉄道
 明治37(1904)年2月16日、「伊勢電気鉄道」に社名変更をします。これは、現在の近鉄名古屋線の前身である「伊勢電気鉄道」とは別会社です。そして、大正11(1922)年に伊勢電気鉄道株式会社は津電灯・松阪電気と合併し、三重合同電気株式会社が設立されました。

電車御乗車案内 伊勢電気鉄道株式会社

 このパンフレットで注目されるのが、定期運賃や貨物運賃まで掲載されていることです。往復割引や周遊割引運賃まではよく見かけますが、貨物運賃まで掲載されているパンフレットを見たのはこれが初めてです。自転車や乳母車まで、料金が載っています。


伊勢電気鉄道全線開通記念絵葉書 (吹上町K様所蔵史料)

左:内宮電車待合所 左:表面 原寸:長辺14.2㎝×短辺9㎝

 「伊勢電気鉄道株式会社全線開通記念」とありますが、明治39(1906)年10月に古市口~宇治(後の猿田彦神社前)間、中山~二軒茶屋間が開業したときのものです。スタンプの日付は全て明治40年1月20日です。
 左「内宮電車待合所」は、現在の内宮前バス停跡地ではなく、浦田町バス停ロータリー付近です。ここは、当初「藤波長官の松」を一周するループ線になっていました。写真左端に写っているのがその松だと思われます。

左:外宮正殿・内宮正殿  右:二見浦


左:伊勢電気鉄道路線図  原寸縦14.1㎝×横9.1㎝
中:参宮二見浦鳥羽交通順路案内絵葉書  
原寸縦9.1㎝×横14.2㎝ 伊勢山田東京堂発行
右:内宮電停
  原寸縦9㎝×横14.1㎝


 「路線図」には明治42年の式年遷宮記念スタンプが捺されています。
 大正3(1914)年11月に浦田町から内宮前(現内宮バス停)までの区間開通しました。それまでは現浦田町バス停付近に内宮前電停がありました。そこは、「藤波の松」を囲むループ線となっていました。なお二見電停もループ線になっていました。中「参宮二見浦鳥羽交通順路案内絵葉書」は、参宮線が鳥羽まで描かれていますので明治44年以降に発行されたものです。内宮・二見電停ともループ線が描かれています。なお、この絵葉書の中には「高千穂館」「高千穂館本館」「五二会ホテル」の旅館名だけが記入されています。両旅館が共同で作製したものでしょうか。
 右「内宮電停」絵葉書は明治42(1909)年の年賀状として、志摩郡浜島町から横須賀市に出された実逓便(実際に使われた絵葉書)です。「恭賀新年 併而平素之謝疎遠」(筆者注 恭賀新年 併せて平素の疎遠を謝す)と漢文風の挨拶文が書かれています。
 大正3(1914)年11月に浦田町から内宮前まで開通するとループ線は使用されなくなり、その敷地は車庫として使用されましたが、戦後取り壊されました。


内宮電停(ループ線時代)現在の様子1(平成19年8月10日撮影)
左:藤波の松石碑
中:藤波の松南から北(浦田町バス停方面)を望む
右:藤波の松東から西を望む

 この松は2代目です。1代目は昭和40年代に枯死したそうです。


内宮電停(ループ線時代)現在の様子2(平成30年8月5日撮影)

 2代目の松も伐採されていました。


〔参考文献〕

久田康夫・中野本一「神都線の電車2」
           『鉄道ファン』昭和36年9月 交友社
勢田川出版のなかま 『伊勢の市電(山田のチンチン電車)』
            平成3年3月 勢田川出版(青木印刷) p.120



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