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神宮 明治42年式年遷宮紀念絵葉書

 
『明治四二年 神宮遷宮史』によると、明治42年の式年遷宮では、造神宮使庁(二枚一組)・逓信省(二枚一組)・宇治山田市参事會(甲・乙・丙の3種類、三重県工業試験場の技師の翻案により、御遷宮渡御の御列絵巻物(神宮文庫所蔵)、両宮御正殿の模型、神宮祭主賀陽宮殿下の御真蹟「稽古照今」、祭主殿下御御肖像を始め御白石奉曳式、徴古館、御成街道、二見浦日の出、新築宇治山田市役所、其他二十余カ所の神都名所)の三者が記念絵葉書を発行しました。


造神宮使庁発行
 明治42年度??御遷宮紀念絵葉書
左:たとう表面 中:たとう裏面  
原寸:長辺14.5㎝×短辺9.5㎝
右:表面  
原寸:長辺14㎝×短辺9㎝

左:賀陽宮殿下  左:内宮東面 外宮南面

 二枚一組で、いずれもエンボス加工がされています。「大正10年9月5日 伊勢大廟参拝記念」スタンプと「明治42年御遷宮???」スタンプが捺されています。左の意匠は川原大祓式場である五十鈴川の川辺に御神宝を入れる朱辛櫃の絵と賀陽宮殿下の写真、右の意匠は神宮の杉を背景に遷御の際の白布(画像では分かりませんが白色部分は銀色です)を配し、松明の明かり(朱)を描いたものです。スタンプの形は神宮の神宝である楯の形です。


宇治山田市参事会発行 神宮式年正遷宮式幷神都名勝絵葉書


 この絵葉書集は宇治山田市参事會が発行したもののうちの1件です。右端全ての絵葉書が綴じられていますが、それれぞれミシン目がついておりそこから切り離すことができるようになっています。『明治四二年神宮遷宮史』には上述した通り、祭主殿下御御肖像を始め御白石奉曳式、徴古館、御成街道、二見浦日の出、新築宇治山田市役所、其他二十余カ所の神都名所」とあります。しかし、この絵葉書集には祭主殿下の御肖像はありません。また、「外宮御白石奉曳」の画像については、筆者所蔵でこの絵葉書集から切り離されたと考えられるものに、「岡本町」「小川町」のものがあります。よって、この絵葉書集は数種類あるのではないかと考えられます。

左:表紙  中:裏表紙  原寸:長辺15.1㎝×短辺9.1㎝
右:絵葉書表面
  原寸:長辺13.7㎝×短辺9.1㎝

 表紙表面には宇治山田市街地図が、表紙裏面には大湊から二見周辺の地図が描かれています。参宮線の山田駅以東は点線となっています。

左:目次  中:神宮御鎮坐之由来  右:神宮御遷宮の事


左・中:神宮式年御遷宮の事  右:神宮の境域


左:内宮正殿(エンボス加工)  右:献納御白石内宮(宇治橋と神苑)へ搬入の光景 


左:外宮正殿(エンボス加工)
右:外宮御白石(神苑より宇治山田郵便局前御成新通の起点)奉曳  


左上:倭姫命の御陵  左下:伊勢外宮神苑  
中上:伊勢五十鈴川(法渡口)御手洗  中下:伊勢宇治橋
右上:伊勢朝熊ヶ岳本堂前  右下:二見浦日の出実写

 倭姫命御陵は現在「尾部古墳」として陵墓参考地となっています。『伊勢市史 第6巻 考古編』には、御巫清直の『尾部御陵紀源』(明治22〔1880〕年)が紹介されています。それによると、横穴式石室を有する高さ1.8m、東西6m、南北12mほどの古墳(墳形不明)で明治22年以前の発掘で須恵器(有蓋高坏・堤瓶・横瓶・𤭯)・金環・銀環・金剛製の鈴が出土したそうです。出土品から考えると6世紀中頃から後半のものと考えられるそうです。写真には羨道と考えられる部分が写っており、石室入口には社(倭姫命を祀っているのでしょうか)が置かれています。

左上:御遷宮式  左下左:内宮一の鳥居  左下右:神宮司庁前御白石奉曳
中上:御遷宮式  中下左:五十鈴川より造宮御木曳きの光景  中下右:五十鈴川より日本海戦捷砲及宇治橋遠望
右:神都御成道右に宝物拝観所中央に徴古館左方農業館遠望



宇治山田市参事会発行 御遷宮渡御の御列絵巻物(神宮文庫所蔵)


 この絵葉書にもミシン目があります。四枚がつながった状態で発行されました。その状態の絵葉書も所蔵していますが、長辺がスキャナより長いのでここでは紹介していません。


宇治山田市参事会発行 両宮御正殿の模型、神宮祭主賀陽宮殿下の御真蹟「稽古照今」 (I様所蔵史料
原寸:長辺14.2㎝×短辺9.1㎝
 この絵葉書は尾上町I様所蔵史料です。 標題に書きました通り、『明治四二年 神宮遷宮史』には「両宮」の模型とありますが、残念ながらも内宮のものは有りません。両者ともエンボス加工がされています。


〔参考文献〕
川原由松『明治四二年神宮遷宮史』 明治43年10月 p.173~174
伊勢市『伊勢市史 第6巻 考古編』 平成23年3月 伊勢市 p.391~392


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