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井阪長七家文書 1 大正時代の約束手形


 河崎町交差点にある、百五銀行河崎支店の向い側北西に「井坂長七商店」がありました。井坂長七商店は、商工名人録等に次の記載があります。
  1『三重県下商工名人録』明治26(1893)年 p.205
    和洋酒 米味噌問屋  井阪長七   
  2『宇治山田商工名人録』大正元(1912)年  p.27
    酒商  長四四    井阪長七   筆者注:「長四四」は電話番号
  3『宇治山田商工名人録』大正3(1914)年  p.13
    酒及倉庫業      井阪長七   
  4『三重県商工案内』  大正11(1922)年 p.11
    酒販売        井阪長七
  5『南勢商工名人録』昭和2(1927)年  p.66
    酒類  四四     井阪長七   筆者注:「四四」は電話番号

 以上のことから、井阪長七商店は、河崎町で主に酒を扱う問屋で倉庫業も営んでいたことが分かります。
 その建物は、残念ながら平成30年4月16日より解体されました(HP『神宮巡々3』「井坂長七商店解体前の史料調査」)。その後「Yahoo!オークション」で出品され、sadanaiが落札した文書を紹介します。

大正時代の約束手形
 
井阪新太郎から井阪長七に対する約束手形です。井阪新太郎は4の住所欄スタンプにあるとおり石炭商を営んでいました。
 井阪新太郎については商工名人録等に次の記載があります。
  1『宇治山田商工名人録』大正元(1912)年  p.32
    石炭商  四四六   井阪新太郎    筆者注:「四四六」は電話番号
  3『宇治山田商工名人録』大正3(1914)年  p.13
    石炭商  四四六   井阪新太郎    
  4『三重県商工案内』  大正11(1922)年 p.311
    石炭販売       合資会社井阪石炭商店
  5『南勢商工名人録』昭和2(1927)年  p.66
    石炭練炭 四四六   井阪英一
 昭和の初めに井阪新太郎から英一に代替わりをしたようです。


1 大正7年6月26日付 左:表面 右:裏面
  
1~5 原寸:長辺24.4㎝×短辺12.8㎝


2 大正7年8月26日付 左:表面 右:裏面

3 大正7年10月25日付 左:表面 右:裏面

4 大正7年12月4日付 左:表面 右:裏面

5 大正8年2月8日付 左:表面 右:裏面

6 大正8年4月16日付 左:表面 右:裏面
 6~19は京阪神銀行集会所選定用紙を使用しています。

7 大正9年1月8日付 左:表面 右:裏面

8 大正9年正月21日付 左:表面 右:裏面

9 大正8年4月16日付 左:表面 右:裏面
 事情は不明ですが、裏面左端に受取の日付銀行印が入っていません。

10 大正9年4月27日付 左:表面 右:裏面

11 大正9年7月15日付 左:表面1 右:表面2
   裏面 原寸:長辺42.4㎝×短辺13.6(裁判所の貼付紙)㎝
 この手形は支払い拒否がされました。裏面には支払拒絶証書が貼付されており、裁判所の手数料領収書とともにホチキス留めされています。

12 大正9年8月30日付 左:表面 右:裏面

13 大正9年9月28日付 左:表面 右:裏面
 裏面左端に受取の日付銀行印が入っていません。

15 大正9年12月6日付1 左:表面 右:裏面
 15~17は表面の捺印に全て墨で消されたあとがあります。また、裏面左端に受取の日付銀行印が入っていません。

16 大正9年12月6日付2 左:表面 右:裏面

17 大正10年1月5日付 左:表面 右:裏面

18 大正10年?月5日付 左:表面 右:裏面
 裏面右端の指図人印が墨で消されています。また、左端に受取の日付銀行印が入っていません。

19 大正11年1月24日付 左:表面 右:裏面
   
原寸:長辺26.8㎝×短辺13.1㎝

20 大正12年12月12日付 左:表面 右:裏面
   
原寸:長辺25.5㎝×短辺15.4㎝


〔参考文献〕
田中甚太郎   『宇治山田商工名人録』    大正元年     神都興信所
田中甚太郎   『宇治山田商工人名録』    大正3年9月   実業興信所
三重県勧業協会編『三重県商工案内』      大正11年10月 三重県勧業協会
田中甚太郎   『南勢商工人名録』      昭和2年7月   南勢新報社


〔参考HP〕
桝屋善則 『神宮巡々3』「井坂長七商店解体前の史料調査」』
                     令和4年2月11日最終閲覧


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