河崎周辺から大湊・神社方面 施設
大湊尋常高等小学校 大湊町立工業学校
大湊小学校は、明治7年に東町の商法庫にて読・書・算を教えたのが創始とされています。後に海眼院に移りました。そして、明治8(1875)年に西町に校舎を新築します。翌9(1876)年10月には伊勢暴動により校舎が破壊され、一時海眼院を利用しますが校舎を新築し、「資誠学校」として馬瀬・下野・小林・大湊の組合上等学校を設置します。明治10(1877)年に「大湊学校」とし、明治31(1898)年に令和3年閉校時の地(三重県伊勢市大湊町1118番地194)に校舎を新築し、「大湊尋常小学校」となります。明治33(1900)年には「大湊町尋常高等小学校」と改称されました。昭和10(1935)年11月17日に新校舎落成式が行われました。昭和18(1943)年に「宇治山田市立国民学校」、昭和22(1947)年に「宇治山田市大湊小学校」、昭和30(1955)年に「伊勢市立大湊小学校」と改称されました。児童数の減少により、神社小学校と合併することとなり、令和3(2021)年3月20日に大湊小学校の閉校式が行われました。そして、合併した「みなと小学校」の開校式は同年4月7日に行われました。
また、文部省は明治後期に実業教育においても積極的な施策を行いました。伊勢地域では明治29(1896)年7月に、現在の「伊勢工業高等学校」の前身である「大湊工業補習学校」が創設されました。創設当初は大湊尋常小学校の校舎を仮校舎としていましたが、明治31(1988)年3月に同敷地内に専用校舎が建設されました。さらに翌明治32(1899)年に「造船徒弟学校」に改組されました。498~503そして、大正10(1921)年1月の「工業学校規定」の改正に伴い、昭和3年(1928)4月に大湊町立工業学校に改組されました。大湊小学校を同じく昭和10(1935)年11月17日に校舎改築落成式が行われました。昭和12(1937)年12月に大湊町が宇治山田市に合併編入しました。これにより、宇治山田市立工業学校と改称しました。