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内宮界隈(朝熊山) 旅館

とうふや旅館 (豆腐屋・東風屋)

  とうふ屋は「とうふや」・「豆腐屋」・「東風屋」・「十八亭」・「十八州亭」と呼ばれていました。十八州とは、伊勢・志摩・伊賀・大和・近江・美濃・飛騨・越前・加賀・越中・信濃・尾張・三河・遠江・甲斐・駿河・相模・伊豆を指すそうです。江戸末期には創業していたようで'す。
 明治22(1889)年発行の 『伊勢参宮獨案内』には、「旅館業
 豆腐屋喜右ヱ門」との記載があります。また、明治23(1890)年発行の『伊勢大廟おかげ参り』には、「とうふ屋佐吉 仝喜右ヱ門」とあります。さらに、明治26年発行の『三重県下商工人名録』の広告に「御休泊所 朝熊岳峠茶屋 とうふや佐吉」と書かれています。よって明治23年から26年の間に代替わりしたと考えられます。
 大正14(1925)年に新築されました。本館と別館があり、本館は100畳敷の大広間があり、団体客に備えました。別館は客室十数室の他写真暗室があったそうです。食堂は和洋食を調え、志摩・鳥羽の魚介を豊富に使ったメニューを出していました。昭和19(1944)年のケーブルカー休止とともにさびれ、茶店を中心に営業していました。そして、昭和39(1964)年2月18日の火災により本館別館とも焼失しました。


大正14年以前のとうふや旅館
左2枚 原寸:長辺×短辺  右二枚 原寸:長辺13.9㎝×短辺9㎝

 写真の蔵奥の建物が平屋のようですので、大正14年の新築以前の建物だと考えられます。蔵の西側には「運動場」がありました。


絵はがき 旅館とうふや
左:たとう 原寸長辺19.2㎝×短辺15.5㎝
中:表面  原寸長辺13.8㎝×短辺8.9㎝
右:とうふや(右別館)(左本館)

 本館・別館が写っていますので、大正14年以降に作成されたものです。


左:左本館 右別館  中:別館  右:大広間の一

 左画像は、とうふ屋の東側から西側に向かって撮影されたものです。本館看板の下に蔵が見られます。

左:汐合橋を望む 右:鳥羽港を望む



伊勢国朝熊山名所絵葉書
左:たとう 原寸長辺20㎝×短辺19.4㎝
右:表面  原寸長辺14.1㎝×短辺9㎝書刊行会
 こちらも別館が写っていますので、大正14年以降に作成されたものです。

左:とうふ屋第一別館表通  中:とうふ屋第一別館東側  右:とうふ屋の眺望・客室の一部



伊勢朝熊岳 山上旅館とうふ屋

 『伊勢朝熊岳名所』絵葉書のうちの1枚です。たとう裏側には「朝熊山案内」の文があり、「朝熊山旅館」として、「百数十年以前の開業でありまして客室は大小沢山あり、座りながら天下の絶景が見られます。第1別館・第2別館・簡易食堂、山上停留所より3丁半 朝熊山旅館 とうふ屋」との記載があります。


とうふ屋チラシ1「伊勢参宮と朝熊岳」
原寸:長辺56.6㎝×短辺17.4㎝

 裏面地図に朝熊登山鉄道、三重合同電気が記載されていますので大正14(1925)年以降昭和5(1930)年以前に作成されたものです。表面は大日本麦酒株式会社名古屋工場の広告です。こちらも大正14年に竣工しました。千種駅と鶴舞駅の間に引き込み線がありました。現在は麦酒工場はなくなり、浩養園・イオン千種となっています。


とうふ屋チラシ2「伊勢参宮案内 内宮外宮宮域図」
原寸:長辺39.3㎝×短辺17.9㎝

 裏面写真には別館が写っています。表面地図には参宮急行が描かれていませんので、これも大正14年以降昭和5年以前に作成されたものです。


とうふ屋チラシ3
原寸:長辺26.5㎝×短辺19㎝

 参宮急行鉄道・合同電鉄(神都線路面電車)が記載されていますので、昭和6(1931)年以降昭和12(1937)年以前に作成されたものです。


平成17年12月31日撮影
左:とうふ屋跡看板 中・右:とうふや跡前から伊勢・二見方面の眺望

とうふ屋本館跡



〔参考文献〕
大矢剣居編 『伊勢参宮道中独案内』      明治22年12月 吉岡平助
大館利一編 『伊勢大廟おかげ参り道中記』 明治23年3月  
松田豊幹  『三重県下商工名人録』       明治26年6月  三重日報社  
写真集伊勢編集委員会編 『写真集 明治 大正 昭和 伊勢 二見 小俣』 昭和61年8月 国書刊行会


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