内宮界隈 旅館
すし久(鮓久) 水月楼
内宮の門前町であるおはらい町に「すし久」さんがあります。「すし久」さんのHPによると初代森田久蔵が天保年間に開業したそうです。現在の建物は平成元年に復元改装されたものです。
明治22年12月に発行された『伊勢参宮道中独案内』には「旅館業」の項に「宇治 鮓屋久蔵」とあります。また、明治23年2月に発行された『伊勢道中細見記』には「すし久は、有名なる仕度所なり。料理飲食宿泊の業を兼ねて営むところにして、用ゆる魚類の新鮮なるを割烹の巧妙にして価格(あたい)の非常に低廉なるとは、群客の夙とに賛賞する所なり。唯然るのみならず、需(もと)めに応ずるの速にして、顧客をして寸時も空しくせしめざるは所謂即席料理の名に負かず、この点に於てもおそらくは仝業者中の第一なるべし。(筆者注:旧漢字を改め、句読点を補いました。)」とあります。
また、『写真集 明治 大正 昭和 伊勢 二見 小俣』には、別館は昭和3年の御大典の前に完成し、内宮屈指の料理旅館として、勅使などの宿泊所にあてられたこともあったが、時勢の波には勝てず、昭和60年の夏に営業中止となったとあります。
すし久絵葉書1
原寸:長辺14.1㎝×短辺9㎝
表面の罫線が1/3の所に引かれていますので、大正7(1918)年以前に撮影されたものだと考えられます。
水月楼鮓久絵葉書1
上左:内宮水月楼すし久全景
上右:五十鈴川の辺鮓久旅館
下左:鮓久旅館別荘より内宮神苑を望む
下右:表面 原寸:長辺14.1㎝×短辺9㎝
こちらも、表面の罫線が1/3の所に引かれています。また左下「別荘より内宮神苑を望む」の左端には、ロシア戦艦アリョールの主砲砲身を使用して作られた記念碑が写っています。この建立は明治39(1906)年です。その右側には、完成していると思われる宇治橋の手前に仮橋が架けられています。明治42(1909)年3月26日に第57回式年遷宮に伴う宇治橋渡り初め式が行われました。よって明治42年頃に撮影されたものだと考えられます。
水月楼鮓久絵葉書2
左:たとう 原寸:長辺16.2㎝×短辺9.9㎝
中:表面 原寸:長辺14.1㎝×短辺9㎝
右:鮓久事水月楼全景 内宮神苑
左:宇治橋手前一丁余 旅館水月楼玄関
中:水月楼上雪の間 水月楼上より五十鈴川の清流を望む
右:水月楼階下松竹梅の間 宇治橋
水月楼鮓久絵葉書3
左:たとう 原寸:長辺18㎝×短辺9.6㎝
右:表面 原寸:長辺14.1㎝×短辺8.8㎝
左:(本店)鮓久事水月楼全景 参宮急行終点駅と食堂売店
中:水月楼上雪の間 水月楼上より五十鈴川の清流を望む
右:水月楼階下松竹梅の間
水月楼鮓久絵葉書4
左:たとう表面(広げた状態)原寸:長辺20.1㎝×短辺16.5㎝
右:たとう裏面
左:絵葉書表面 原寸:長辺14.1㎝×短辺9.2㎝ 印刷:絵画研究会
中:鮓久事水月楼全景 内宮神苑
右:宇治橋手前一丁余 旅館水月楼玄関
左:水月楼上雪の間 水月楼上より五十鈴川の清流を望む
中:水月楼階下松竹梅の間 宇治橋
右:たとうに入っていた領収書 原寸:長辺17.4㎝×短辺13㎝
水月楼鮓久絵葉書5
左:鮓久事水月楼玄関 原寸:長辺18.1㎝×短辺14.㎝
右: 〃 表面