内宮界隈 施設・商店
如雪園
如雪園は、現在の神宮バラ園の地にありました。大正9年に大阪の篤志家帯谷傳三郎が開拓・経営したものです。ここは内宮禰宜・中川経高の山荘があったところで、その庭園には雪が降る如く花々が咲き乱れていたといいわれています。中川経高の歌である「おもかけの 雪こそ花の 曙の 月の夕も 名は世々にふれ」に因み「如雪園」と名付けらました。
如雪園絵葉書
左:たとう表 (広げた状態) 原寸:長辺27㎝×短辺19.5㎝
中:たとう裏
右:絵葉書表面 原寸:長辺13.8㎝×短辺8.7㎝
たとう中央には「繪画印刷工藝社印刷」とあります。
表面の右端には如雪園の概要が掲載されています。以下引用します。旧漢字を新漢字に、片仮名を平仮名に改めました。
所在 三重県宇治山田市中之切町(内宮宇治橋を距る北約二丁国道に沿ふ)
面積 一万三千五百坪
内広場 七千五百坪 松杉山林 五千四百坪
営造物 貴賓休憩所 三十八坪 一棟 庭園 六百坪
一般休憩所 百十坪 一棟 事務所 二十三坪 一棟
倉庫 十三坪 一棟
昭和十年度登園者統計
登園待遇せし総数 十七万五千七百八十人
内訳
小学校及中学校其他学校生徒 五万七千五百七十人
海陸軍人及在郷軍人 四万五千七百四十人
青年団及青年訓練所員 二万二千五百七十人
会社職工及勤労団員 二万三千五百五十人
其他一般参拝者 二万六千三百五十人
昭和十一年一月調査
裏面には「如雪園事業概要」として設立趣旨等が記載されています。以下引用します。旧漢字を新漢字に、片仮名を平仮名に改めました。( )の中は筆者注及び漢字の読み方です。
如雪園事業概要
社会公益に資する国家奉仕の趣旨に依り大正九年来之れを開拓経営せるものにして天壌無窮の我が国体を内外に宣揚し、敬伸崇祖忠君愛国の精神を涵養し(闕字=文中に貴人の名や称号などを書く時敬意を表すため、そのすぐ上を一字か二字あけて書くこと)皇室中心主義の実践窮行を期し一層神宮参拝を奨励勧誘するの目的を以て参宮学生軍人青年団労働団体其他の参宮者のため無料休憩所並に貴賓休憩所を建築し、常に茶湯の接待方法を設備し常時思想善導勤倹貯蓄民風作与に関する公演を為し其他各種の敬神事業を経営し又夏季林間学舎を開き且つ公私一般公共的便宜を図らんが為め解放して登園者の接待に竭(つ)くせり嘗て大正十一年五月(平出=文中に貴人の名や称号などを書く時、敬意を表すため改行して次の行頭にその文字を書くこと)
皇后陛下(闕字)神宮に御参拝被為在たる際畏くも本園事業(闕字)天聴に達し五日午後四時半御使として大森皇后宮大夫如雪園に御出向種々御下問を賜るの光栄を辱(かたじけな)うせり
加之本園事業御奨励の思召を次て(闕字)秩父宮殿下(闕字)高松宮殿下(闕字)澄宮殿下各皇族殿下の御大臨を辱うし、其際閑院宮殿下(闕字)久邇宮殿下同良子女王殿下東伏見宮殿下の私樹御手植の光栄を賜り并に各内閣大臣を初め貴顕紳士のご来園を蒙りたるもの多きが中にも特に御大典神宮御親謁の際は御思召を以て御大礼使総裁閑院宮殿下御宿泊は恩命を辱うし本園事業に対し優渥(ゆうあく)なる御綻を賜り感激の至り絶えず又神宮御遷宮に際しては大勲位山本権兵衛伯爵の御宿所に充てらるる等其の光栄を拝謝すると同時に一層当初の趣旨目的を貫徹し設備の周到を期し以て社会に貢献せんとする覚悟なりとす
如雪園主 伊藤傳七
園主の伊藤傳七は四日市四郷出身の実業家で、渋沢栄一の援助を受け三重紡績会社(後の東洋紡績株式会社)を発足させました。また、貴族院議員も務めました。
左:内宮前如雪園正門 中:内宮前如雪園貴賓室 右:内宮前如雪園休憩所