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明治聖代戦役記念碑(金鳶・ニャロメの塔)

 戦前、尾上町の虎尾山山頂には、「明治聖代戦役記念碑」が設置されていました。
 『宇治山田市史』付録昭和3(1928)年4月3日条に記念碑の除幕式の記事があります。そこには、「附近の遊園地面積は2700余坪で、記念碑の構造は赤目花崗岩及び鉄筋コンクリート造り、青銅製の金鵄像を頂き塔身上部四尺、下部六尺、台座方二十四尺、総高三十六尺ある。」とあります。メートルに換算すると上部(鳶像の部分か?)120㎝、下部180㎝、台座7m20㎝四方、高さ10メートル80㎝となります。

左:神宮皇學館(現皇學館大学)の昭和7(1932)年の卒業アルバムより
右:平成18年3月31日撮影


 左の画像は卒業アルバムをデジカメで撮った画像ですので、歪んでいる点はご容赦下さい。石碑には、「明治聖代戦役記念碑 元帥伯爵東郷平八郎之書」とあります。
 以下、地元の方々から伺ったお話を掲載します。
  ・尾上町や明倫学区の方々は「金の鵄(きんのとび)」と呼んでいた。
  ・ニャロメの落書きがされてからは「ニャロメの塔」と呼ばれた。
  ・頂上の鵄の像は本当に金色であった。
  ・石碑の下には発電機が有り、金鳶の下の丸い部分が赤く点灯するようになっていた。
  ・御薗の方は遠足で虎尾山に行っていた。
  ・戦前には古市通りに記念碑の案内看板が立っていた。
 また、『明治聖代戦役記念碑建設趣意書』(原寸縦24㎝×縦16.1㎝)によると、当初は壮大な計画がなされていました。
  ・日清日露戦争の記念碑を建てることにより、明治天皇の偉業と従軍の人々を顕彰する。

  ・記念碑建設会会員の芳名殿を建設する。
  ・紀念館を建て、日清日露戦争に関する物を蒐集・陳列する。
  ・記念碑周辺に公園を建設し、明治天皇を補佐した重鎮の銅像を建設する。
 なお、本文書には発行年が明記されていませんが、国立公文書館デジタルアーカイブスシステムで公開されている「趣意書」(本ページで紹介しているものより詳細な内容となっています。)には、大正7(1918)年2月とありますので、それとほぼ同じ頃に発行されたと考えられます。また、同書の設計図から推測すると、高さ30mを越える記念碑とする構想がありました。
 右画像は、草木が鬱蒼と生えています。平成18年以降、NPO法人「自利利他」の皆さんや橋本紡さんの小説『半分の月がのぼる空』のファンの皆様をはじめとする多くの方々の手によって整備がされました。

 記念碑建設会の会員には徽章が贈られました。(本ページ紹介「趣意書」13ページ)
  名誉賛助員徽章  純金製 綬付   
  名誉会員徽章   純銀製 綬付 
  特別会員徽章   銀製
  正会員徽章    金色
  通常会員徽章   銀色

会員徽章

正会員徽章(金色)・箱

正会員徽章(金色) 左:表面  右:裏面

通常会員徽章(銀色) 左:表面  右:裏面


 徽章の大きさは18㎜です。国立公文書館文書にある、大正7年5月29日付内務省警保局長宛文書によると、徽章の大きさは曲尺6分5厘(19.7㎜)であるので、明治41年の勅令に抵触する。よって6分(18.2㎜)以内にするとともに綬(おぶさ:飾り紐)をつけないようとの警告が出されました。少なくとも正会員・通常会員章は、その警告に従って作成されたと考えられます。


明治聖代戦役記念碑竣工紀念絵葉書
左:たとう(広げた状態)長辺(横)20㎝×短辺18.1㎝  右:表面 長辺(横)14.1㎝×短辺9.1㎝
 たとうには、「昭和3(1928)年4月3日 明治聖代戦役記念碑除幕式紀念のスタンプが捺されています。

左:明治聖代線駅記念碑  中:清渓橋より虎尾山尾望む  右:虎尾山見晴台より宇治山田市街の一部を望む
 右画像「虎尾山見晴台より宇治山田市街の一部を望む」の中央にある煙突が三重合同電気の発電所のものです、その右に伊勢の市電(神都線)の岩淵車庫がみえます。なお、昭和6年に開業した宇治山田駅はまだ見られません。

左:碑上の金鵄  中:碑文  右:碑文拡大
 石碑の台座正面には、中・右画像の碑文がありましたが、現在は存在しません。
 なお、伊勢市在住の方の絵葉書コレクションを拝見したことがあります。この5枚の絵葉書の他に、石碑の所在地図・石碑周辺の案内図が書かれた紙が添付されていました。それによると、「虎尾山より宇治山田市街の一部を望む」の右端に写っている東屋に「紅楓亭」、「明治聖代戦役記念碑」画像階段の右側にあった東屋に「八陵亭」と名付けられていたことが分かります。

平成20年1月20日撮影
 虎尾山に向かって掛かる清渓橋は昭和2(1927)年に竣工しました。

平成20年2月10日撮影
 
伊勢では珍しく積雪がありました。この日は虎尾山の現「岡本ヒルズ」開発に関し、地元住民の皆さんへ対する説明会が行われました。その会で出されたご意見も踏まえ、業者のご高配で清渓橋が移築保存されました。

「左:明治聖代線駅記念碑  中:清渓橋より虎尾山尾望む  右:虎尾山見晴台より宇治山田市街の一部を望む」に近いアングル

左:清渓端虎尾山側東下  中:清渓橋虎尾山側西下  右:清渓橋中央虎尾山側中央下
 清渓橋は石積みの土台の上に架設されていました。コンクリートで固められている場所も石垣に似せて線堀がされていました。橋の下側中央には「昭和2年」の銘記がされていました。

虎尾山測量図(岡本ヒルズ開発前) 皇學館大学考古学研究会委員長・同OB測量(平成20年当時)

平成20年1月4日撮影 麓から記念碑まで










※本稿は、『皇學館大学史料編纂所所報 史料』第222号に掲載したものを元に、再編集しました。

※国立公文書館所蔵の文書の存在については、尾上町在住で郷土史研究家のMISUZU様にご教示を頂きました。また、徽章の作成にあたり警告を受けたことに関しては、近代以降の戦争について広くご研究をなさっている、Y様よりご教示を頂きました。有難うございました。

〔参考文献〕
○『神宮皇學館』昭和7年卒業アルバム
○明治聖代戦役記念碑建設会
   『明治聖代戦役記念碑趣意書』(発行年不明)

○国立公文書館デジタルアーカイブスシステム
 「明治聖代戦役記念碑建設会に関する件(三重)



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