宇治山田駅・古市・倉田山界隈 商店・施設
徴古館・農業館(倉田山)
徴古館は「神苑会(しんえんかい)」によって、明治42(1909)年9月29日に日本最初の私立博物館として創設されました。当初は絵葉書のとおりドーム式の屋根でしたが、戦災によって焼失しました。昭和28年に復元されました。
農業館も神苑会によって設立されました。明治24年(1891)外宮前に建てられ、38年に倉田山へ移転しました。その後、神宮美術館建設のため解体されましたが、平成8年に現在地に復元されました。以前の建物に比べ、展示スペースが大幅に狭くなったのが残念です。旧農業館に行ったことがあります。大正~昭和の農林水産業の資料が、「これでもか」と言うように所狭しと並んでいました。
徴古館設立趣意書
左:表紙 原寸:長辺23㎝×短辺15.5㎝
中:徴古館建物図 原寸:長辺38㎝×長辺23㎝
右:徴古館室内陳列図
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徴古館案内
左:表紙(折った状態・右図裏面に印刷) 原寸:長辺13.7㎝×短辺9.2㎝
右:徴古館案内 原寸:長辺54.2㎝×短辺39.1㎝
案内上段「発端」を箇条書きで紹介します。
明治19年 6月 神苑会創設
明治24年 5月 豊川町に農業館開館
明治24年 倉田山の九町四反を買収
明治25年12月 内宮・外宮神苑開苑式
明治27年 9月 徴古館の物品蒐集に着手
明治28年 3月 二見の賓日館を仮徴古館と称して観覧開始
明治35年 8月 撤下御物拝観所を建設し神宮に献納することを決定
明治36年 新道(御幸通)竣工
5月 撤下御物拝観所完成・献納
明治37年 8月 農業館を倉田山に移設(付属倉庫も共に移築)
明治38年 7月 30日農業館開館式・付属倉庫を仮徴古館とする。
明治39年 4月 徴古館建築の図案決定
8月 起工
11月 建物の建築開始
明治42年 5月 竣工
徴古館案内中段中央の「徴古館陳列風俗人形竝説明」に紹介されている人形は、『徴古館絵葉書第一輯・第二輯』に収録されています。
徴古館開館式記念絵葉書
左:たとう表面 長辺14.2㎝×短辺9.3㎝
中:たとう裏面
右:絵葉書表面 長辺14.1㎝×短辺9㎝
左:徴古館全景
中:総裁・会頭の肖像
右:観覧券 長辺8.8㎝×短辺6.3㎝
大阪毎日新聞 明治42年10月1日
左:徴古館 原寸::長辺14.3㎝×短辺9.4㎝
右:徴古館開会式 原寸:長辺13.6㎝×短辺9.2㎝
倉田山絵葉書1
左:たとう 折った状態 長辺14.7㎝×短辺9.6㎝
右:絵葉書表面 長辺14㎝×短辺8.9㎝
左:徴古館 中:農業館 右:御幸通りより倉田山を望む
右画像倉田山の麓には神苑会記念碑が写っています。よって、明治44年以降に撮影されたものです。また、現神宮文庫の辺りの建物が撤下御物拝観所です。
倉田山絵葉書2
左:たとう 広げた状態 長辺14.7㎝×短辺9.6㎝
中:絵葉書表面 長辺14㎝×短辺8.9㎝
右:徴古館北口
左:徴古館 中:農業館 右:倉田山南口
絵葉書表面の罫線が中央に引かれていますので、大正7(1918)年以降、戦前に作成されたものだと考えられます。
神宮徴古館・農業館概要
左:表面 右:裏面 原寸:長辺37.3×短辺26.2
左画像下の地図に三交神都線が描かれていますので、農業館が戦後陳列内容を近代化した昭和29(1954)年以降、昭和36(1961)年以前に発行されたものだと考えられます。
絵葉書 上の「神宮徴古館・農業館概要」と同時に入手したものです。
左:表面 原寸:長辺13.8㎝×短辺8.8㎝
中:神宮徴古館農業館入口 右:神宮農業館外景
神宮徴古館全景 原寸:長辺27.7㎝×短辺8.8㎝
現在の様子
平成26年4月6日撮影
令和2年11月14日撮影
左:徴古館 右:農業館跡地付近(現:神宮美術館)
左:現在の農業館 右:御幸通りより徴古館を望む
〔参考文献〕
伊勢市商工会議所・伊勢文化舎
『改訂新版 検定 お伊勢さん 公式テキストブック』 平成28年11月
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