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錦水橋

 錦水橋右岸(内宮側)から外宮方面に向かって撮影した写真です。奥に見えるの山並みは、外宮の南側にある高倉山です。ちなみに、山頂には高倉山古墳があります。この古墳にある石室は全長が18.5メートルで、全国でも6位と巨大なものです。

左:錦水橋1 原寸縦9㎝×横14.2㎝ 印刷所:不明
中:錦水橋2 原寸縦9㎝×横14.1㎝ 印刷所:不明
右:錦水橋3 原寸縦9.1㎝×横14㎝ 印刷所:MATSUMOTO

錦水橋1 錦水橋2 錦水橋3
左:錦水橋4 原寸縦8.9㎝×横13.8㎝ 印刷所:不明
中:錦水橋5 原寸縦8.9㎝×横13.8㎝ 印刷所:不明
右:錦水橋6 原寸縦8.9㎝×横13.9㎝ 印刷所:絵画研究会


 錦水橋1~3の表面は全て1/3の箇所に罫線があります。よって大正7(1918)年以前の写真です。(西川洋監修『今昔写真集 三重県絵はがき集成』コラム「表面でわかる絵はがきの変遷」[p.91])また、橋の手前左側の木の成長具合から少なくとも写真の古さを推定することができます。
 錦水橋4~6の表面は1/2の所に罫線があります。また、錦水橋4の画像では、電車のすぐ左側に大正8(1919)年に建てられた宇治山田警察署と思われる建物が見えます。錦水橋5は4と同じ画像で彩色が施されており、昭和5年の消印があり、大正8年から昭和5年までに撮影されたものです。錦水橋6は錦水橋手前の街路樹の大きさから錦水橋4・5もほぼ同じ時期の写真だと考えられます。写真に電車が写っていますが、錦水橋1の電車のように二重屋根の電車は大正末から昭和初めにかけて廃車ないしは改造されています。(和久田康雄・宮松金次郎・中野本一「三重交通 神都線の電車1~3」『鉄道ファン』昭和36(1961)年8月~11月)さらに、錦水橋5では、昭和6(1931)年3月に開業した宇治山田駅が写っていませんので、大正末から昭和6年以前の撮影だと考えられます。
 また、電車の右側には庭などに置くための灯籠が数多く見られます。現在は錦水橋西南にある「石吉」さんと関連があるのでしょうか?

左 平成19年3月31日撮影 錦水橋1と同アングル
中 平成20年5月 4日撮影 錦水橋2と同アングル
右 平成18年3月21日撮影 錦水橋5と同アングル


錦水橋 平成19年3月31日 錦水橋 平成20年5月4日 錦水橋 平成19年3月21日

〔参考文献〕
西川洋監修『今昔写真集 三重県絵はがき集成』 平成18年12月 樹林舎

和久田康雄・宮松金次郎・中野本一「三重交通 神都線の電車1~3」
     『鉄道ファン』昭和36(1961)年8月~11月
   交友社

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