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信用販売購買利用組合
地方の農業発展に寄与した組織に「農会」があります。御薗村では大正110(1921)年から昭和初期にかけて組織されました。農会と供に地方の産業経済の発展に寄与した組織に「産業組合があります」。これは、明治33(1900)年に制定された「産業組合法」によって設立されたものです。小生産者の協同組合で、信用組合・購買組合・販売組合・利用組合(生産組合)の四種類がありました。
御薗村では昭和9(1934)年4月に辻村清三ほか19名を発起人として設立されました。当初事務所は役場内におかれましたが、昭和11(1936)に現在のJA伊勢御薗支店集荷場の場所に事務所・倉庫が設けられました。肥料・農具を始め生活必需品を購入し組合員に販売したり、組合員が生産した米・麦・甘藷切り干しなどを共同販売したりしました。また、脱穀精米作業もするようになりました。
左:信用販売購買利用組合 右:現JA伊勢御薗支店集荷場(令和4年8月14日撮影)
左画像「信用販売購買利用組合」の右端に写っている石碑は、昭和3(1928)年11月に御薗在郷軍人分会が中心となって日露戦争以降の戦死者を祭祀供養するために建てられた「忠魂碑」です。これは、昭和24(1949)年に御薗村連合青年団の勤労奉仕によって高向墓地に移転され「供養塔」の題字が新たに刻まれました。『御薗村誌』(p691)には「忠魂碑」「供養塔」両者の写真が掲載されています。
なお、令和4年8月14日に高向墓地・隣の長屋墓地に伺いましたが、「供養塔」らしき石碑は見当たりませんでした。
〔参考文献〕
御薗村誌編纂薗村誌』 御薗村 平成元年5月 p318~320・691
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