宮川~外宮界隈 施設・商店
新道商店街
新道は文政10(1827)年に松原清兵衛が私財を投じて建設した道に由来するそうです。現在の伊勢銀座新道商店街は、昭和50(1975)年に伊勢銀座・銀座新道・新道の商店街が合併して形成されました。新道周辺は江戸時代は遊郭となりました。昭和の初めにかけては、三階楼の楼閣や料亭・カフェ芸者の養成学校が集まる一大歓楽街となり、「新古市商店街」と呼ばれました。昭和20(1945)年7月22日の空襲により焼失しました。
左:伊勢古市遊郭
右:平成3年1月2日撮影
左写真のキャプションは誤りで「伊勢新古市遊郭」が正しいと考えられます。右側には秋田洋品店・その奥に大世古郵便局がみられます。左側3軒目の三階楼は「レストラン白牡丹」です。
大正12(1923)年1月に発行された『宇治山田市 附松坂町・二見町・鳥羽町 全図』に掲載されている新道通りにあった建物の写真を紹介します。
左:末広楼(貸座敷) 中:戸田屋(旅館) 右:白塚屋(和洋料理)
この3件は新道通の南側にありました。末広楼は戸田家の2軒西側にありました。戸田家は現在暗渠となった清河が写っていますので、南側から撮影されたものだと考えられます。現在の戸田屋別館の北向側にあったと考えられます。白塚屋は現在の大世古交差点北東の新道通にあったと考えられます。
左:愛嬉楼(貸座敷) 中:八百権支店 右:山田楼(貸座敷)
愛嬉楼は新道通の南側、八百権支店・山田楼は北側にありました。いずれも大世古交差点から一之木交差点の間の新道通にあったと考えられます。
「新道通」近くの商店等の画像を紹介します。
一月家
右:令和3年12月29日撮影
畑肛門病院
右:平成27年11月23日撮影
地図では「畑病院」と記載されています。畑肛門医院のホームページによると外来棟(右写真中央の建物)は大正5(1916)年に建てられた古い旅館を、初代院長さんが移築したものを利用なさっているそうです。左画像では左奥の屋根だけ見える建物でしょうか。
〔参考文献〕
伊勢市 『伊勢市史 第8巻 近代編』 平成24年6月 伊勢市
p.713~714
〔参考ホームページ〕
畑肛門医院 「医院紹介」 令和4年3月13日最終閲覧
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